宮本武蔵が巌流島の決闘で駆使した心理学とは?

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武蔵が巌流島の決闘で駆使した心理学とは?

 

五輪書の「火の巻」で武蔵はさまざまな心理学が闘いにおいて必要であることを説いています。

武蔵の最も有名な決闘は巌流島での佐々木小次郎との決闘です。

佐々木小次郎は、武者修行のため諸国を遍歴し、「燕返し」の剣法を案出し、「岩流」と呼ばれる流派を創始し小倉藩の剣術師範であったと言われています。また、三尺余(約90cm)という長い太刀を使うことで知られていました。しかし年齢など詳しくはわかっていません。

熊沢淡庵の『武将感状記』では、武蔵は細川忠利(小倉藩主)に仕えて京から小倉に赴く途中で「岩流」から挑戦を受け、下関での決闘を約したとなっていますが、武蔵の方から小次郎に対決を求めたとも言われています。門下生同士の争いつまりどちらが強いのかという争いが原因だったとも言われていますが詳細は不明です。小次郎は真剣での決闘を求めたものの、武蔵は木刀で闘うと言ったとされています。

舟島のちに巌流島と呼ばれた島において武蔵と小次郎は慶長17年4月13日(1612年5月13日)に決闘を行い、武蔵が小次郎を打ち殺して勝利したとされています。当時の年齢は、武蔵は29歳、小次郎は18歳と『二天記』では記されていますが小次郎の年齢については50歳代とか老人であったなど諸説ありますが、ここでは二天記に基づいていきます。

巌流島の決闘の流れ

舟島(後に巌流島)での決闘が決定した際、佐々木小次郎は小倉藩主の細川忠興(ただおき)の船で、武蔵はその家老の長岡興長(おきなが)の船で舟島に渡る予定でした。しかし武蔵は決闘の前日に突然姿を消してしまいました。

武蔵は下関から手紙で「 小次郎は細川忠興公の船で行くのに自分が長岡様の船で行けば長岡様が主君に対して不忠になるから自分は下関で船を雇って行く」という趣旨を伝えていたと言われています。つまり遠慮したということですが、実際には遠慮というよりも前日に現場の下見をするためだったと考えられています。

また、武蔵は船宿の主人から船の櫓(ろ)を 得ます。そして武蔵はその櫓を削り、小次郎の大きな太刀よりも30cmも長い4尺6寸(約138㎝)の長い太刀を作りました。

決闘の当日、武蔵は約束の時間は午前8時ごろであったにもかかわらず午前10時過ぎに到着しています。小次郎からは二度も督促の使いが来たとされていますが武蔵は全く急ぎませんでした。つまりわざと遅刻をしたのでしょう。

武蔵は船を下りると波打ち際を歩き手ぬぐいで鉢巻をします。武蔵は太陽を背にする位置と小高い場所を探していたのではないかと言われています。

まじめな性格の小次郎は待ちくたびれてイライラしていたのでしょう。

武蔵が到着すると小次郎は「私は約束した時間通りに来たのにお前はどうして遅れたのだ?お前は臆病なのか」と罵声を浴びせます。

しかし武蔵は聞こえないふりをして無視します。

すると小次郎はさらにイライラして、刀を抜くと鞘(さや)を海に放り投げます。

すると武蔵は「小次郎、敗れたり」と叫びます。

小次郎は「何と?」と聞き返します。

武蔵は言います。「決闘に勝とうとする者が、何で鞘を捨てようぞ(捨てるわけがない)」

小次郎は益々怒り、刀を武蔵の眉間をめがけて切りつけます。

しかし武蔵の櫓の木刀が一瞬はやく小次郎に当たり小次郎は倒れます。

武蔵は小次郎にまだ息があることがわかると木刀で打ち殺します。

武蔵は小次郎の死を確認すると一礼したのちに、素早く船に飛び乗り、小次郎の門弟たちの攻撃をさけて巌流島を離れました。

以上が「二天記」に記された巌流島の決闘の流れです。もちろん異説はありますが本書は歴史書ではないのでこの記述を基に、現代人の我々がなにが学べるかを考えていきましょう。

武蔵が駆使した心理学

以上の決闘からわかることは以下のとおりです。

1 下見をする 現場主義

武蔵は前日に舟島の下見をしたと考えられます。そこで太陽の登る時間や向きを検証したのでしょう。太陽を背に受けることで相手は眩しいために有利になるからです。さらに小高い場所もチェックしていたのでしょう。上から打ち下ろす方が有利だからです。

武蔵は「座敷の中では、明かりを後ろにするか、右脇にせよ」と五輪書で説いています。

また「相手よりも少し高い所に立って見下ろす位置を取れ」とも説いています。まさにそのための下見であったと言えるでしょう。

ビジネスにおいても現場主義ということが重要だと言われています。つまり業績の悪い会社の工場は整理整頓がされていない傾向にあるからです。また工場の流れ作業でも無駄なレイアウトになっていたりすることがよくあります。DXなど効率化が叫ばれていますが、本当に何がボトルネックなのかは現場を見ないとわかりません。

経営においても学者の言うことを鵜呑みにしても上手くいきません。あくまでも実践の中でそれらの理論を生かしていくことが求められているのです。

2 心理学の活用

武蔵は「五輪書」においても闘いにおける心理学の重要性を説いています。

経済学でも近年心理学を取り入れた行動経済学が注目を集め、ノーベル経済学賞を立て続けに受賞しています。闘いにおいてもビジネスにおいても、人の心理を読むことはとても重要なのです。拙著「マンガ行動経済学1年生」もぜひお読みください!

武蔵は小次郎の生真面目な性格などを事前に把握した上で極めて戦略的な対応をしていることがわかります。

まず、小次郎が真剣での勝負を求めたのに対して、武蔵は木刀でいくと答えていますが、小次郎は武蔵にバカにされたと思うはずです。

先日に忽然と姿を消したことによって、小次郎は武蔵が臆した、つまりおじけづいたと思い油断をした可能性があります。

武蔵が、決闘の約束の時間である午前8時を二時間も遅刻していくのも計画的に相手を苛立たせる作戦といえます。

また武蔵が船の櫓を削って長い太刀(138cm)を作ったのは、小次郎が最も強みとしていた長い太刀(90cm) の優位性を無くすことで相手に動揺を与える為だったのです。

相手の優位性を削ぐために一番効果的なことは、相手の強みを消してしまう、相手の強みを上回る強みをこちらが持つということです。

ビジネスにおいてもプラグイン(栓をする)戦略があります。

これは松下幸之助氏が取っていた戦略とも言われています。つまりあるヒット商品が出てくるとそれを上回る改善された同じような商品を大々的な宣伝とナショナルの販売網で一気に潰して市場を取るという勝者の戦略です。マネシタ電器などと揶揄されたこともありますが、経営戦略として業界トップ企業が取る戦略としては正しいものだと言えます。

武蔵は太陽を背にし、小高い場所を選ぶことで環境を有利に利用します。小次郎は焦りを覚えた可能性があります。

小次郎の罵声を武蔵は無視して聞こえないふりをしています。これは現代のネットなどでの誹謗中傷に対しても無視がもっとも効果があると言われているように相手に苛立ちをもたらす効果的な方法です。

そのうえで武蔵は鞘を捨てた小次郎に対して、小次郎敗れたり!と罵声を浴びせさらに小次郎の平常心を揺るがせます。

小次郎よりも一瞬はやく武蔵の太刀が小次郎を捉えて小次郎は倒れますが、武蔵は小次郎が絶命するまで再度太刀でたたき殺します。冷徹に思われますが、武蔵は敵は完全に滅ぼさなければならないと説いており、それを実行しています。情けは命取りになる可能性があるからです。

最後は小次郎の門下生が襲ってくることを予見して船に飛び乗り巌流島を離れますが、闘うのにふさわしくない相手とは闘わない、無駄なことはするなと説いているとおりの行動だと言えます。

ビジネスにおいても3C分析といわれるフレームワーク(枠組み)があります。自社の現状を市場・顧客(Customer)、競合(Competitor)、自社(Company)の3つの切り口で分析するフレームワークです。

「市場」と「競合」が外部分析、「自社」が内部分析です。

「市場・顧客」「競合」「自社」の順に分析をおこないます。外から内への順番です。

他社とのアライアンス(提携)を意識するために、「協力業者(Co-operator)」を入れて、「4C」とすることもあります。

「市場・顧客」に関しては、「自社の事業において、どのような潜在顧客がいるのか」を把握します。「競合」に関しては、「自社の事業において競合している企業」を分析します。

それらを踏まえた上で、「自社」の強みや弱み、経営資源の有無を分析していきます。

分析結果を見ながら、「市場の変化によって、成功要因はどう変化しているか。今後その市場で成功する要因は何か」「市場の変化に対して競合はどう対応しているか。その対応に必要な経営資源(ヒト・モノ・カネ)とは何か」「自社はどう対処すべきか」などと考えることが大切です。

武蔵の「五輪書」には小次郎との巌流島の闘いから得た教訓が数多く記されていることがわかります。現代の我々にも大切なメッセージではないでしょうか。

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