バーキンで訴訟されたエルメス(HERMES)帝国誕生の歴史

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最高級ブランドとして知られるエルメス(HERMÈS)が「バーキン(Birkin)」の販売方法についてアメリカ国内における独占禁止法違反の疑いで消費者2人に提訴されていると複数の海外メディアが報じています。

人気で品薄のバーキンバッグは、別商品を大量に購入した「VIP顧客」だけに購入チャンスを与えていることは有名ですね。訴状では、エルメスの販売スタッフはバーキンの販売でインセンティブを受け取っておらず、そのほかの商品をどれだけ販売したかによって報酬が決まっていると指摘しており、特定の商品を販売する際に別商品とのセット購入を条件とすることはアメリカの独占禁止法に違反すると主張しているそうです。

そんなセレブ御用達のブランド エルメス の歴史をひも解いてみましょう!

ショート動画もありますのでぜひチェックしてみてください!

エルメス帝国の歴史

創設者ティエリー・エルメスからこの帝国は始まりました。ティエリーは1801年1月10日、デュッセルドルフの外れにあるクレフェルトで生まれました。母親はドイツ人で、父親はフランス人の移民でした。両親はホテルを営み、ティエリーは6人兄弟の最年少でした。ティエリーの生後2年後、ナポレオン戦争が勃発し、家族の多くが亡くなりました。この悲惨な出来事の後、エルメス家はパリへ移り27歳になったティエリーははじめて革細工の職を学びました。ティエリーは貴族をターゲットにして、貴族や馬車貿易のために革製の馬具や手綱を作り始めました。 彼の高品質な作品はヒットし、1867 年の万国博覧会で賞を受賞しました。 

顧客層の設定がはじめから富裕層に絞ったことがブランドビジネスで重要であることがわかりますね!

ティエリーの死後、息子のシャルル=エミール・エルメスが引き継ぎ、エリート顧客に向けてブランドを世界的に拡大しました。 1892 年、彼は鞍を運ぶための象徴的なバッグ、オー・ア・クーロワをデザインしました。 その後、シャルル エミールの息子アドルフとエミール モーリスは、名声を高め続けるにつれて会社の名前をエルメス フレールに変更しました。

1910 年代後半、エミール モーリスはカナダへの旅行中にジッパーについて知りました。 彼はこの技術革新をフランスにもたらし、特許を取得し、「エルメス ジッパー」と呼ばれるエルメスの最初の衣類やハンドバッグに使用しました。いきなり特許を取るなど参入障壁を作ることも経営上重要な戦略です。

1920 年代にはエルメス初のレザー ハンドバッグが発売され、続いて 1934 年には有名なシルク スカーフが発売され、セレブのお気に入りとなりました。

1956年、妊娠を隠すためにエルメスのバッグを使用しているモナコのグレース・ケリー王女の写真が広まったことを受けて、「ケリー」バッグが誕生しました。 これにより、エルメスは究極の高級ブランドとして世間に名声を轟かせました。

1984 年、女優のジェーン バーキンに飛行機内で出逢い、まともなバッグが見つからなかったと言われたことから、バーキン バッグが考案されました。

供給が限られているため独占性が生まれ、バーキンは何年も待ちのリストが続く投資対象のアイテムとなりました。そして冒頭で述べたような販売方法になったのでしょう。訴訟の行くえが気になりますね!

現在もエルメスは家族経営であり、アクセサリー、衣料品、家庭用品、時計、宝飾品などに及ぶ幅広い品目を揃える、世界で最もハイブランドとして有名な高級ブランドのひとつです。 6 世代にわたって受け継がれた創造的なビジョンが、エルメスの永続的な名声と世界のエリートの間での人気を高めてきています。

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