貧しい母子家庭で育ち40歳で自己破産74歳で億万長者になったケンタッキー・フライド・チキン創業者カーネルサンダース物語

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三菱商事が「ケンタッキーフライドチキン」を運営する日本KFCホールディングスの株式約35%の保有分すべてを米投資ファンドのカーライル・グループに売却する方向との報道がありました。私も大好きなケンタですがあの有名なカーネルサンダースの一生は数奇な人生だったと言えるでしょう。40歳で自己破産するは店は火災になるは新しい道路が出来て閑古鳥になってしまうはと不運だらけの人生でしたが60歳後半からフランチャイズ化に成功して億万長者になった奇跡を辿ってみましょう!

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ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者、ハーラン・サンダースは1890年9月9日、インディアナ州で生まれました。6歳の時に父親を亡くし、母親が一人で3人の子どもを育てる貧しい環境で育ちました。10歳から農場の手伝いをして家計を支え、12歳で家を出る過酷な幼少期を送りました。15歳で路面電車の車掌、16歳で年齢を偽って陸軍に入りましたが3カ月で除隊。その後、鉄道員、保険販売員、船員、タイヤ販売員など様々な仕事を転々としました。

1930年の大恐慌で給油所経営に失敗し、40歳で無一文自己破産になりました。

1930年ケンタッキー州コービンの給油所で居候することになり、そこで日曜日にフライドチキンなどを作って家族に振る舞うようになりました。すると通りがかりの客からフライドチキンを求められるようになり、1940年に給油所に隣接したモーテルを買い受け142席のレストランを開業。自家製のスパイス11種を使った絶品フライドチキンが人気を呼び、全国から客が訪れるようになりました。

1935年にはケンタッキー州知事からカーネルサンダースの称号を授かりましたが、1939年に火災で店を失いました。しかし潔く立ち直り、モーテル付きの新店を建設。一時は好景気になりましたが、1952年に新しい幹線道路が開通してしまい店は閑古鳥が鳴くことになってしまいました。そこでレストランを諦めて62歳で店を手放し、自身のフライドチキンのフランチャイズ展開に乗り出しました。

車中泊を重ねながら、様々な店に飛び込み営業をして自らのレシピを5セント/1ピースで売り込みを続けました。

そして7年後なんと1959年までに米国とカナダで200を超える契約を結び、ついにKFCのフランチャイズチェーンの基礎を築きあげました。74歳の1964年に2百万ドル(現在の価値で約1500万ドル)で会社を売却しましたが、CMの顔としてKFCに関与し続けました。

ただし後年、本家KFCの味を酷評し、1978年には食品の質の低下を訴えてKFCから名誉毀損で提訴されるなど、経営陣との確執がありました。サンダースは1980年に90歳で死去しましたが、フライドチキンの”カーネル”としてその名を残しています。

KFCは一時期米国で低迷しましたが、2015年に経営刷新に着手。中国をはじめ海外で急成長を遂げ、現在は135カ国に2万2600店を構える年間売上高83億ドルの大手フランチャイズに成長しました。サンダースは60歳を超えてからフランチャイズ事業を立ち上げ、失敗を重ねながらも最終的に空前の成功を収めた、稀有な起業家として知られています。

高齢化社会が進む日本でも勇気を貰える話ではないでしょうか?

どんなに困難でも決して諦めない強い意志を感じますね!

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