日本の社畜教育ではイノベーターは生まれない~経営学における「国民性」の議論

日本の教育は「社畜育成」教育であり、多数の人が言うことが正しい答えであると信じ込むように教育されてしまうのだと思います。
人と違うことが素晴らしいとされる私が受けた北米の教育とは真逆でした。SNSの普及でますます周りに攻撃されないようにしようとする傾向が強まっているのではないでしょうか。このままでは日本からはイノベーターが生まれなくなるでしょう。

経営学は「国民性」をどう考えているのか

経営学だけに留まらず、経済学でも、社会学でも、さまざまな理論には一定の普遍性がある、ということが前提になっています。だからこそ、ハーバード・ビジネススクールで論じられている経営学が日本に輸入されたり、FRB(連邦準備制度理事会)が採用している金融緩和政策に日本銀行が倣ったりするわけですが、そこであえて疑義を呈してみましょう。
(拙著「最強の人脈術」より以下一部ご紹介しますがあらたに追記している部分もあります)

そうした理論をたとえばアメリカと日本で実行したとして、その結果がはたして同じになるのか?
とても曖昧模糊としていて、捉えどころがないという理由でさまざまな理論から変数として除外されているものに「国民性」があります。しかし、そうした「国民性」によって、国ごとの行動に大きな差が生じることを否定はできないでしょう。

こうした国民性について、経営学という学問はいまだ、その差異を理論のなかに十分に取り込めているとはいえません。

数少ない研究成果として、さまざまな国の文化(国民性)を定量的に測定し、指数化しようとしたヘールト・ホフステッドの取り組みがあります。ホフステッドはIBMの世界四〇カ国一一万人の従業員に行動様式と価値観に関するアンケートを行ない、 一九八〇年、その国の文化と国民性を数値で表すことのできる「ホフステッド指数」を開発しました。

あるいは最新の経営学理論の一つとして、センスメイキング理論というものもあります。これは簡単にいえば、人間一人ひとりがもつこの世界に関する主観的な理解が、その人間の行動を色濃く左右する。そこで人間は唯一絶対の客観的な理解に至ることはなく、その合理性は、それぞれの解釈や固有の世界像に影響される、という前提に立ったうえで、経営戦略を考えていく、というものです。

そうした理論に基づいてアメリカ企業はいま文化人類学者を企業に迎え入れたうえで、各国の文化の違いに基づいた経営戦略を推し進めている、といわれます。

長ズボンを穿くのは小学生らしくない?

まずは自身のエピソードから始めましょう。私が日本の国民性を強く意識したのは、幼少期のころでした。

父が南イリノイ大学で研究していたため私はアメリカのイリノイ州で生まれ、三歳で一度帰国し、その後、父がオタワ大学の教授になったのでカナダの首都であるオタワに移り住んで、さらに父はのちに慈恵医大の教授になり、七歳で再び日本に戻りました。

日本の小学校に入学して間もないある日のこと。私はオタワの小学校で着ていたいつもの服装で日本の公立小学校に登校しました。すると校門にいた先生らしき人が、私を呼び留めたのです。
「君は子供だから長ズボンなんか穿いてはダメだ」

かなり昔のことですから正確には覚えていませんが、要するに、「長ズボンは子供らしくない。冬でも半ズボンを穿くのが小学生らしい」というような趣旨でした。事実、その学校ではほとんどの子供が、冬でも半ズボンを穿いていました。

カナダは寒冷地だったこともあり、小学生は長ズボンが基本で半ズボンの子供など見たことがありませんでした。私はそのとき先生の言葉が理解できず、帰宅してから母親に「なぜ半ズボンでなければいけないのか?」と質問しました。

母からは要領を得ない言葉が返ってきた記憶がありますが、そのとき初めて「みながそうだからということが日本では大事なのだ」ということに気づいたのです。おそらく帰国子女でなければ、そうした文化的ギャップを認識することさえできなかったでしょう。

それ以降も、さまざまな場面でそうしたギャップに私は直面しました。

たとえばカナダの小学校では、知識の習得とともに必ず「あなたはどう思うのか」と個人の意見を求めます。そこで主語は「私は」から始まる回答となります。

しかし日本の小学校における問いは「答えは何ですか?」という質問がほとんど。当然、その回答は「正しい答えは~です」となります。

そこで必要とされたのは「私」という主語ではなく、全員が一致する「正しい答え」でした。これはきっと、どちらがよい、悪いということではない。ただ事実として、日本とカナダにはとてつもない違いがある、ということを、子供心に私は知ったのです。

名著『タテ社会の人間関係』が教えること

なぜカナダと日本でここまで、考え方や優先順位に大きな差があるのか? その疑問に鮮やかに答えてくれたのは、大学生のときに出会った『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)という一冊の書籍でした。

すでに世界一三カ国で翻訳版が出版され、発行部数も一一七万部を超えているこの名著をご存じの方も多いでしょう

インタビューのなかで、著者である中根千枝氏は次のように語っています。

「旧知のシカゴ大の教授には『女性だから書けた。日本の男性はタテのシステムにどっぷり漬かっているから書けない』と言われました。私は小学校高学年から6年ほど、父が弁護士をしていた北京で暮らしました。中国人だけでなく他国の人も周囲にいて、それが普通のことと思ったのが大きいわね」(二〇一四年十一月二十四日付、産経ニュース)

そう、中根氏もまた私と同じ帰国子女でかつ、しばしば男性中心ともいわれる日本のシステムを女性の客観的な視点から分析できたからこそ、バイアスにとらわれない議論を展開できたのでしょう。

民俗学・人類学者として東北から鹿児島までの農村の調査を実施した際、関東と関西は、文化、風習や食べ物、お祭りなどは異なるが、人間関係、集団内の意思決定プロセスは同じであることに気づいた、と中根氏は述べています。その後、インドをはじめとする世界各国のシステムを研究した際、インドはカースト制、イギリスは階級制であり、同じ階層でつながる機能をもつ「ヨコの関係」に対して、日本の社会はつねに「タテになっている」という重大な事実に気がついたのです。

そこでいう「タテ社会」とは何でしょうか? それを知るためにはまず「場」という概念を理解しなければなりません。『タテ社会の人間関係』のなかで、中根氏は「場」について次のような解説を行なっています。

日本人が外に向かって(他人に対して)自分を社会的に位置づける場合、好んでするのは、資格よりも場を優先することである。記者であるとか、エンジニアであるということよりも、まず、A社、S社の者ということである。

補足すると、この場合の「場」とは「会社名」や「組織」のことで、「資格」とは「役職」や「役割」のことを指しています。中根氏はそこで「場、すなわち会社とか大学とかいう枠が社会的に集団構成、集団認識に大きな役割をもっているということであって、個人のもつ資格自体は第二の問題となってくる」と指摘しています。

プラットフォームの構築において「信頼」がきわめて重要ですが、日本はそもそもそれが「信用」できるかどうかの基準も「場」で判断しているということになるでしょう。

たとえばいまでも大企業の従業員であれば銀行は喜んでお金を貸し出しますが、企業から独立した人は銀行に口座を開設することすらなかなか大変である、というのが、この国の実情です。

就職でも、日本と海外では大きな違いがあります。

アメリカの大学院で最も優秀な卒業生は起業するといわれて久しく、日本でも少しずつその傾向が強まっているようにも思いますが、就職人気ランキングを見るといまだに公務員が一番人気であり、銀行や商社など大企業がそれに続きます。その結果からわかるのも、日本人は自己が帰属することができる組織、すなわち「場」を無意識的に求めている、ということでしょう。

「場」を重視する日本人の考え方は、何に基づいているのでしょうか。

「この日本社会に根強く潜在する特殊な集団認識のあり方は、伝統的な、そして日本の社会の津々浦々まで浸透している普遍的な『イエ』(家)の概念に明確に代表されている」「『家』というものは、生活共同体であり、農業の場合などをとれば経営体であって、それを構成する『家成員』(多くの場合、家長の家族成員からなるが、家族成員以外の者を含みうる)によってできている、明確な社会集団の単位であるということである」と中根氏は指摘します。

日本には「家を継ぐ」という表現がありますが、原則として長男が家長として家を守り、次男以下は外に出ます。家を単位として個人は社会とつながるのであって、個々が直接的には社会に向き合わない、とも表現できるでしょう。もっとも最近では核家族化が進んだ結果、子供は長男を含めてみな出ていく傾向があり、あるいは社会問題化している親の介護などで、いったん家を出た子供が戻ってくることも少なくないようです。

家族経営という恐ろしい考え方

家族経営と言う言葉が日本では素晴らしいとされますが外国人にとっては「なぜあなたの家族にならなければいけないの?」という反発を招くとも指摘されています。家族と職場は別だからです。彼らからはいかにも日本的な発想だと思えるのでしょう。
そしてその背後には家族は家長の言うことを聞け!という思想が見え隠れします。
家族経営が素晴らしいのは経営者にとってであって従業員にとってではないのです

無意識に「ウチ」と「ヨソ」を分ける文化

こうした「場」を重視するということはすなわち、日本人は無意識に自らの「場」とそうでないものを区分している、ともいえるのではないでしょうか。中根氏はそれを「ウチ」と「ヨソ」を分ける文化である、と評しています。

日本企業で譬えれば、社員を「ウチ」として家族のように囲い込み、終身雇用を基本とする一方、自社の社員以外の人は「ヨソ」として排斥する傾向がある、といえばわかりやすいでしょうか。グラノヴェッターの「弱い紐帯の強さ」理論でいえば、日本人の「ウチ」とされた組織では「強い紐帯」になっている、という表現ができるかもしれません。

とはいえ日本企業ですでに非正規社員の割合が四割になったことで、現在では同じ会社内でも正社員はウチ、非正規社員はヨソという新たな区分ができあがっているようにも感じます。

さて、このように一体感があり、結束の固い組織は、「強い紐帯の組織」であり、以心伝心で経営陣の思想が素早く末端にまで浸透し、行動に移せることが利点であり、いわゆる高度成長期に適した組織でした。
体育会系の人材が営業系の会社などでは人気といわれるのも、こうした日本の組織に適合しやすいことが要因でしょう。

出る杭は打たれるという「タテ」の組織

そして、この「ウチ」のなかでは、明確な「タテ」の組織が発達します。わかりやすくいえば、それは親分・子分関係やいわゆる官僚組織や軍隊に象徴されるものです。

そのなかでは、たとえ同一の「資格」をもっていても「差」の設定が存在することで、細かな序列が形成されるのです。こうしたメカニズムが、年次や派閥がものをいう組織、前任者の顔色をうかがって改革を実行できない経営者といった諸問題につながってくるのはいうまでもありませんし、「出る杭は打たれる」「とりあえず周りに合わせる」という日本人の気風を生み出しているのも間違いないでしょう。

おそらく小学生のときに私に注意した先生も無意識のうちに、「周囲に合わせず長ズボンを穿いている子供」が気になったのではないか─中根氏の本を初めて読んだとき、そう私は感じたのです。

そうした教育を長年受けてしまうといかにまわりから浮かないようにするか?KYと言う言葉が流行りましたがSNSなどの普及で
さらにその傾向が強まっているのではないかと感じています 周りから攻撃されるのが怖いので黙っていようということになるのです
見て見ぬ振りをする国民性ではイノベーターは生まれないのは当然でしょう

亡き姉(京野尚子 享年59歳)の3回忌でした

時のすぎるのは早いものです 福島復興などのためにも頑張っていた姉ですが癌で若くして昇天しました
墓石を見ながら幼いころの記憶が蘇り、今の日本の教育はあらためて「社畜教育」だったのだなと思いました。

お寺での法事のあといつもの うかい竹亭にて会食でしたが中国人の方など外国人が多く大盛況で驚きました

国際化が進めば進むほどにナショナリズムが呼び起こされていきます やがて戦争へと向かっていくのかもしれません
しかし、天皇陛下が85歳のお誕生日に「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵」と述べられたことは戦争をしらない世代にとって最も重く受け止める必要があるお言葉だと思います 

平和な日本の聖夜に感謝!皆様メリークリスマス(^^♪

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