師匠なし 宮本武蔵に学ぶ日本の知識偏重教育への警鐘

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師匠なし

武蔵はそう断言しています。

宮本武蔵は兵法家として有名ですが、実は書画などでも一級品といわれる作品を残しています。特に有名なのが水墨画の《枯木鳴鵙図》(こぼくめいげきず)(和泉市久保惣記念美術館蔵)です。


枯木鳴鵙図を所蔵する和泉市久保惣(くぼそう)記念美術館の館長であり、大学教授でもある河田昌之氏によれば以下のような記述があります。

出典 https://artscape.jp/study/art-achive/10102134_1983.html

 

「1666(寛文6)年の仏教法話集『海上(かいしょう)物語』に武蔵は「画筆の名人」として登場している。」

「鑑賞のポイント   画面の真ん中に立つ細い枯木の上部に一羽の鵙(もず)が静かに止まり厳しい目つきで前方を見据えている。下方の竹とみられる幹と枝の先端は鋭く、茂みには霧がかかり、地平には冷気が流れている。枯れ木の中間にはゆっくりと這い上がる尺取虫がおり、鵙の餌食になるかもしれないという緊迫した事態を発見する。鵙は気性が荒く攻撃性の高い鳥で、昆虫だけではなく、ヘビやトカゲなどの獲物を細い枝に刺す“はやにえ”と呼ばれる行動をとることが知られる。鵙と尺取虫は動作においては“静と動”、力関係では“強者と弱者”、そしてその運命は“生と死”である。静寂の世界の思いもかけぬ緊迫したドラマに気づき、鑑賞者は独特の緊張感に包まれる。生態へのつまびらかな観察と、一瞬をも見落とさない洞察力があって初めてなされる的確精妙な表現である。重要文化財。」

剣豪である武蔵がなぜ画筆の名人とも呼ばれるほどになったのでしょうか?

答えは「五輪書」の以下の記述にあります。

「私なりの兵法の道理を、様々な芸(諸芸、諸能)にも当てはめてきたので、あらゆることに師匠はいない。」(地の巻 筆者意訳)

つまり武蔵は自分が経験から編み出した兵法の道理を、あらゆる他の芸にも適用することができたので師匠はいないのだと、自信たっぷりに書き記しているのです。

ひとつのことに卓越することでほかのことにも卓越することができるといえば、「一芸に秀でる者は多芸に通ず」ということわざがありますがこれは「何か一つのことで優れている人は他のことも出来るようになる」という意味です。

もちろん一つの事に秀でた人があらゆることができるという意味ではないと思います。

むしろ一つの事に秀でた人は他の事にも全身全霊で本気で取り組めば他に事もできるようになると解釈するべきではないかと私は思っています。

ただ、武蔵は幼少期に父の無二斎から逃れて、父と離婚した母親の再婚相手がいた平福村の正蓮院に預けられ、道林坊という住職から剣術と書画を習ったと言われています。そういう意味では完全な独学ではなかったのかもしれません。それでも名人といわれるほどの腕前になったのはやはり武蔵自身の実体験をもとに独自の世界を生み出すことができたからでしょう。

小林秀雄の武蔵評

日本を代表する小林秀雄氏はその著書「私の人生観」https://amzn.to/3ymhVIA

の中で以下のように武蔵について述べています。

私が、武蔵という人を、偉いと思うのは、通念化した教養の助けを借りず、彼が自分の青年期の体験から、直接に、ある極めて普遍的な思想を、独特の工夫によって得るに至ったという事です」。

兵法においても武蔵は形式主義を嫌います。他の流派が免許皆伝として様々な型を教える中で武蔵は実践の場では型などあってないものだと言います。あくまでも実践の場で最も適切な方法を選ぶことが命をかけた戦いにおいて大切だと説きます。

日本の学校教育の問題点

日本の学校教育は暗記が中心で正しい答えをいかに早く導き出すかを重視していますが武蔵が生きていればおそらく自分の頭で考える力をつけよ!と叱責するのではないでしょうか。

以前の記事にも書きましたが日本の教育は決められたことを正しく理解し暗記することが基本になっていて、自分の頭で考えて自分の独自の意見を求めることをほとんどしません。

テレビなどでも東大王というクイズ番組が人気のようですが、細かい知識をひたすら早く答えることが優秀だと思われてしまっています。もちろんテレビ番組ですしクイズ番組なので当然そうならざるを得ないとは思いますが、問題はそれを東大王と呼んでしまう点にあると思います。

以前記事にも書きましたが世界的経営コンサルタントの大前研一氏は「先生の言うことを聞いてはいけません」とよく会議でも話されています。

「先生の言っていることを聞いていたら先生と同じくらいにしかなれないから」だそうです。宮本武蔵に近い考え方ではないでしょうか。

それは決して先生を馬鹿にしているわけでなく、生徒が与えられた質問にしか答えられない、自分の頭を使うことができずそれまでに解決できなかった新しい問いには回答不能になってしまう人間になってしまうからなのでしょう。

他人の作った資格(国家資格も含めて)や学歴や肩書というものにも囚われている人が多い気がしています。学歴ではなく何をしてきたのか?何ができるのか?実績は?という視点が日本にはとても少ない気がしています。テレビに出て専門外のことにも適当なコメントをしているような評論家とかコメンテーターという人がなぜか持ち上げられているのが不思議で仕方がないです(笑)

以前宮本武蔵の「観の目、見の目」について以下のような記事を書きました

「五輪書」に学ぶフェイクニュースやウソの情報に騙されず本質を見抜くための極意    https://www.carlbusinessschool.com/blog/musashi-fakenews/

「海外では子供の時からクリティカルシンキング(批判的思考)を学ばせている。私が入学した小学校は北米のパブリックスクールだったが低学年であってもかならず「あなたはどう思うのか?」と先生に聞かれた記憶がある。その後日本の公立の小学校に転校したが、そこでは「答えを言ってください」が先生からの問いかけであった。つまり個人としてどう考えるかではなく、正しいとされている答えを選ばせる教育だったのが日米の最大の違いだと実感した。この違いはたとえば独裁国家の学校にあなたが転校したらより明確に実感できるだろう。」

これからの時代は決まった解答を他の生徒と同じように解答する生徒ではなく、むしろ質問自体を自ら作り出し自らが調べて考えて自ら回答できる人間にならなければ、グローバルに生き残っていけないだろうと思います。

知識偏重主義の教育から子供の特性や個性を伸ばしたオンリーワンの教育へと転換することが世界で戦える人材になるために必要だと宮本武蔵は教えてくれるのではないかと思います。

  • 経営学用語

 

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