実は宮本武蔵は個人主義・自立・独立人・実践の人・マーケティングの人 Miyamoto Musashi is an individualist, independent, pragmatic, marketing person

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宮本武蔵は個人主義・自立・独立人・実践の人・マーケティングの人

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Miyamoto Musashi is an individualist, independent, pragmatic, marketing person

多くの日本人は寄らば大樹、長い物には巻かれろ、空気を読め、上司に忖度していれば出世すると考えているようだ。

私自身、特に大企業にいたころはそれを強く実感した。また海外での会議やハーバードビジネススクールで教えた際も日本人が自ら自分の意見を言うことは稀だった。

中間管理職だったころに会議で上司の意見と異なる発言をしたら、会議後に上司から発言するなと怒られた経験も多々あった。他の同僚も陰では上司の発言内容はおかしいと言いながらも決して会議などでは発言しなかった。自分の意見を持たずに言われたとおりにして波風を立てない方が覚えがめでたくなるという空気が蔓延している。

企業内のみならず日本の社会全体としても多くの人が不満をかかえながらもそれを表立っては言わずに過ごしていく方が批判されずに済み、自分を安全地帯に置いておけると考えているのではないだろうか。

しかし宮本武蔵は違った。意外に思うかもしれないが個人主義・実践の人さらに言えばマーケテイングにも長けていたのだ。

平穏な時代になると武道は次第にビジネスになっていった。様々な流派が誕生し、免許皆伝、いまどきで言えば資格ビジネスあるいはサロンのようなものになっていった。その中で武蔵は自己の二天一流を後世に残そうと『五輪書』を書いたとも考えられる。その証拠に他流が型にはまった形式を重んじることを批判している。

宮本武蔵が生まれたのは織田信長が本能寺の変で亡くなった二年後の1584年だ。本能寺の変は天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長を家臣明智光秀が突如謀反を起こして襲撃した事件だ。その後1585年には豊臣秀吉が関白となり、武蔵が20歳になった1603年に徳川家康が江戸に幕府を開いた。

武蔵の少年時代は戦国時代の末期であり、常に生きるか死ぬかの武士の時代だった。そんな中で武蔵はいかに生き抜くか、勝つためにはどうすれば良いのかを常に考えて生きたのだった。

武蔵は晩年に熊本の細川忠利の客分になるまでどこの組織にも属さなかった。

正確に言えば徳川家などに何度か登用されようと試みたものの条件があわずに登用されなかった。

武蔵は、天才的な剣豪ではあったが天才であるがゆえに組織人としての資質には欠けていたために登用されなかったという指摘もある。優れた選手が必ずしも優れた監督にはなるわけでもないというのと同じだろう。

しかし自立、独立人としての生き方からこそ生まれたのが世界的なベストセラーである『五輪書』であるといえよう。常に戦場にいるという危機感を持ちながら個人が勝ち続けていけるための極意が書かれているからこそ、フリーエージェント時代の現代において重要な示唆を我々に与えてくれるのだ

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